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老後の辿る道 〜顧問・上東 丙唆祥〜

僕は、高齢者の施設入居のお手伝いもしている。入居のお手伝いと言っても、施設の入居先を案内するとかではなく、入居先が決まった方の荷物をお届けるするサービスである。
こんな仕事をしていると色々な高齢者と話をする機会に恵まれる。独りで施設入居を決断する人、家族に説得され入居をされる人、訪問介護士やデイ・ケアーさんの話で入居を決める人、様々なケースで施設に入居することになる。
現在の施設は、僕が知る限り、設備も整っていて不便さも感じず、施設で働くスタッフの教育も行き届いていて気持ち良くも感じる。まぁ、これは施設にもよりますが……。苦笑

さてさて、あなたは、自分が施設に入る想像をしたことはありますか?

自分の将来の目標や夢を考えたことは、あると思います。

10年先、20年先のビジョン!20代や30代が、このビジョンを考え繰り広げることは、とても素晴らしく思います。
しかし、40代、50代の方々が若い人達と同じように将来のビジョンを描いていたとしたら……、ちょっと、待ったぁ~ですよ。(笑)

確かに将来のビジョンを考えることは自由ですし良いことだと思いますが、1つ忘れてはいけないことは、老後、あなたの将来は今のような身体では無いと言うこと。老化による身体機能が衰えているということですこれは、あなたの将来のビジョンに必ず訪れます。
僕は、この施設入居のお手伝いをしていて、切なくなることがあります。

あぁ、今日もまた、姨捨山(おばすてやま)へ荷物をお届けに行くのかぁってね。

役に立たなくなった老人を山に捨てたという伝説から、組織などで、年をとってあまり役に立たなくなった人を移しておく部署や地位のたとえ。もちろん、家族と良く話し合い納得して施設に入居する方もいれば、自分が独りで生活できる状況ではないと考え、自ら入居される方もいます。

全ての方が、納得していないという訳ではありません。しかし、大概の方々が、自分が施設のご厄介になるとはと染々と言葉を口にします。現在、あなたが、同居などせず、独りで暮らすならば、あなたの最期は、自宅か、施設、病院のどれかが有力だと思う

これは、今をあなたが選択した結果でもあります。息子に促されて、施設入居を決めた母親から見える表情は、自分の最期の場所を決めた覚悟にも感じる作り笑いをする。もちろん日々の忙しさで親の面倒を見られない息子、子供には迷惑をかけたくない親。

葛藤しながらも解決するには、どちらにも覚悟が必要になるように思う。生きるには沢山の可能性と選択肢があるが、死に方の選択肢は少ない。でも、多くの人達は口を揃えていう。

何時死ぬかわからないのに死に方など決められなし分からないと。

僕の視点から言えば逆だ。

生きている限り、生き方や使命などを探したところで、何が起こるかわからない。奇跡だって起こる。

将来を心配して自分の未来を決めて、がんじがらめに縛られるならば、自分の死に方、死ぬ場所を決めて、自分の未来を受け入れて自分らしい、自由な人生で生きて行けば良いのではなかと思う。

その方が人生楽なように感じている。

こちらの本を読んでみてください。きっと何かを感じて頂けると思います。ここに僕は孤独死社会の原点を教えてもらった。

『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに』菅野久美子著

出典:『あなたとわたしへ』上東 丙唆祥ブログより
https://joto5482.hatenablog.com/

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