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私が遺品整理アドバイザーになった理由 松井 麻津

私は前職にて4年、女性専用の体操教室でシニアの方と触れ合っていたにも関わらず、人様の死に直面したことはありませんでした。しかし、祖母がなくなり、祖父が後を追うように亡くなった時に初めて、人の死を自分の身近なこととして感じたのです。それまでいかに健康で人生を全うするか!そのサポートをしてきていながら、死後の事を全く理解していませんでした。

2人の愛の巣には、大量に物が溢れていました。私の祖父母は互いに認知が進んでいました。他人が入ることは難しい程とても仲睦まじい2人でした。

ある日の夜中、祖母が心臓麻痺で電気カーペットの上で倒れて亡くなりました。祖父が、祖母が亡くなった事に気付いたのはその翌日の夕方でした。共に暮らしていながら、半日以上も気付かれず電気カーペットの遺体は腐敗が進みました。そんな事があった自宅でも、祖父は離れる事はしませんでした。亡くなった祖母の体液が残ったままでも…。

更に、生きがいを無くした祖父の認知はドンドン進み10ヶ月後を追うように亡くなりました。2人のいなくなった空き家をそのままにする訳にもいかず、2週間で退室がきまりました。

完璧に綺麗にするまでに4日以上。その間、軽トラックに何十個もの衣服やバックなどの装飾品を詰め込む作業の繰り返し…。どれにどんな想い出があったのか、後になってはわかりません。ただ、数枚の写真だけ形見として持って帰り田舎を離れました。大好きだった2人が残してくれた物に、価値がまったくつけられなかったんです。物があり過ぎて、記憶の中に残っていたピアスもリップも見つけられませんでした。それがとても悲しかった。物なんて価値を見出す人がいなかったら意味の無いものなんだって気付いたんです。

そこからストレス発散で物欲を満たす事はやめました。価値あるものだけ、受け継げるものだけを持とう。物は少なくていい。それでも昔から溜め込んだものはまだまだ減りません。

改めて、どれだけ無駄な買溜めをしていたのかと痛感しています。人はいつ死がやってくるかわからない。だからこそ、残された人の気持ちを考えてあげなきゃいけない。そう強く学びました。遺品にしても、財産にしても。私はこれからも価値あるものを遺していける人になります。そして、遺品整理、生前整理の必要性を少しでも多くの方に伝えていくことを選びました。

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